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わたし資産、徹底解剖!vol.5 朝ドラで話題の牧野富太郎、その人生から「わたし資産」を考える

わたし資産、徹底解剖!vol.5 朝ドラで話題の牧野富太郎、その人生から「わたし資産」を考える

TOPICS

  1. 「日本の植物学の父」の破天荒で情熱的な人生 
  2. 生涯で約40万の標本を収集。ほぼ独学で世界的な植物学者に
  3. 「植物が好き」というシンプルな思いと行動力が数々の発見につながった
  4. 好きを突き詰めることで「わたし資産」は自ずと育っていく


資産には、お金や家といった有形資産だけでなく、知識や教養、経験といった無形のものもあります。UI銀行では、お客さま1人ひとりのさまざまな資産を「わたし資産」と名付けて、さらに豊かにするためのお手伝いをしています。

 

本企画「わたし資産、徹底解剖!」では、歴史上の人物から架空のキャラクターまで、さまざまな人物の「わたし資産」を深掘りすることで、「わたし資産」を増やすためのアイデアやヒントを考察・提案していきます。

 

今回取り上げるのは、2023年の朝ドラでも話題の牧野富太郎博士。日本の植物学の父と呼ばれる牧野博士の破天荒な人生と、その「わたし資産」に迫ります。

 


ほぼ独学で世界的な植物学者に。牧野富太郎の破天荒な人生とは

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幕末の動乱期に、高知県の山里に生まれた牧野富太郎。寺子屋で勉学に励んでいた9歳の頃から植物に関心を寄せるようになり、ほぼ独学で植物の知識を身につけたそうです。小学校の授業に物足りなさを感じ、自主退学した牧野は、友人の父親から借りた本草学(ほんぞうがく・薬用となる自然物を研究する中国の学問)の本を読みふけり、そこに書かれている植物を探して調べることに没頭したとか。人生の転機が訪れたのは、17歳の時。高知市に住み始め、そこで出会った高知中学校教員の永沼小一郎から、欧米の植物学について教わります。

 

「これが自分の進むべき道かもしれない」。密かに植物学者を志し始めた牧野は、第2回内国勧業博覧会の見物と、顕微鏡や書籍の購入を目的に、19歳で初めて上京。一度は帰郷したものの、22歳の時再び上京し、下宿の仲間の紹介がきっかけで、東京大学理学部の植物学教室に出入りを許されるようになりました。

 

晴れて研究に没頭できる身となった牧野は、北海道から鹿児島まで日本中の野山を歩きまわって調査し、次々と新種の植物を発見。特に有名なのは1889年に発見した「ヤマトグサ」で、これが日本人によって学名がつけられた最初の例とされています。

 

多額の借金や研究者との確執に苦しみながらも、牧野が研究のために集めた標本はおよそ40万枚にのぼり、94年の生涯で1,500種類以上の植物に学名を与えました。1940年に刊行された『牧野日本植物図鑑』は、現在まで改訂を重ね、植物図鑑として広く親しまれています。

 

牧野がおよそ30年間暮らした北豊島郡大泉村の家は、現在、練馬区立牧野記念庭園として一般に開放。晩年になっても、この家の庭に移植した植物を観察・採集したり、標本を整理したり、寝る間を惜しんで植物の研究や書き物を続けたと伝えられています。

 

植物への愛が育んだ、 牧野富太郎の「わたし資産」とは?

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植物が好きすぎるあまり、自分のことを「草木の精」と呼んでいた牧野富太郎。その人生には、UI銀行のコンセプトである「わたし資産」を見つけ出すためのヒントになる要素がたくさん散りばめられています。

 

牧野富太郎の「わたし資産」

毛の一本一本まで繊細に写しとる植物への深い愛と情熱

 

牧野を研究へと突き動かし続けたのは「植物が好き」というシンプルで熱い気持ちでした。植物の毛一本一本まで細かく描いた図は、牧野富太郎の植物への愛を物語っています。牧野は、植物学教室に出入りする以前から、東アジアの植物研究の第一人者であったロシアのマキシモヴィッチ博士の元へ、頻繁に標本や図を送付していました。博士はそこに描かれた図が繊細で正確であることに感動し、称賛の返信を牧野宛に送ったそうです。このような植物への愛と情熱は、牧野の「わたし資産」の礎と言えるでしょう。

 

牧野富太郎の「わたし資産」

植物への理解を深めてもらうために労力は惜しまない

 

牧野は植物学者を志すようになってから「赭鞭一撻(しゃべんいったつ)」と題する15ヶ条の心得をつくりました。そのひとつに、山野を越えて川を渡り各地を歩き回ることを嫌がってはいけない、という意味の「跋渉(ばっしょう)の労を厭うなかれ」という一文があります。この一文を体現するように、代表作である『牧野日本植物図鑑』には、全国を歩き回って写生した植物図を大量に掲載。研究室にこもって論文執筆に明け暮れるよりも、生きている植物の真実の姿を見せることこそが、植物への興味や理解を深めてもらうための最善の方法だと信じていたのです。

 

牧野富太郎の「わたし資産」

小学生から森鴎外まで、分け隔てないフラットなコミュニケーション

 

牧野は、相手によって態度を変えることがなく、誰に対しても分け隔てのないフラットな人物だったと言われています。森鴎外など著名人と交流を持つ一方で、小学生にも敬語で接し、手紙にも一通一通丁寧に返信するほどの筆まめぶり。前述の「赭鞭一撻」には「博く交を同志に結ぶ可し」ともあり、身分や肩書きに関係なく植物が好きな人とは広く交流することの大切さが記されています。牧野が生涯をかけて集めた約40万点の植物標本のうち、3分の1は、牧野と一緒に植物採集や標本づくりを行った各地の人たちから送られてきたものだそうです。

 

人生100年時代、牧野富太郎に学ぶ「わたし資産」の育て方

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長寿研究が進む今、センチナリアンと呼ばれる100歳以上の高齢者は、幸福指数が高いことが分かっています。94歳で亡くなる直前まで、牧野が植物学者として精力的に活動し続けられたのも、自分の好きなものに真っ直ぐで、常に好奇心旺盛だったからではないでしょうか。植物にどれだけの愛と情熱を注いでいたかは、「草を褥(しとね)に木の根を枕 花と恋して五十年」といった、自作の都々逸(どどいつ)にもよく表れています。


牧野が新種の植物を次々発見したように、自分の「好き」を突き詰めることで、世界的な発見につながることもあります。そこまで大仰ではなくても、自分の好きなものをとことん突き詰め観察すれば、そこから新しい視点や気づきを得られることもあるでしょう。

研究には多くの資金が必要であり、牧野は常に多額の借金を重ねていました。しかし、不思議なことに、困難に直面するといつも助けてくれる人が現れたそうです。目的を持って一心に突き進む姿に、人は心動かされるもの。好きなものに対する情熱や、努力を惜しまない行動力、損得勘定のない人との交流は、人生を豊かにし、それによって「わたし資産」も自ずと育っていくのかもしれません。


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企業プロフィール

株式会社UI銀行

https://www.uibank.co.jp/

UI銀行は、連携パートナーやきらぼし銀行を始めとしたグループ各社と協働し、対面・非対面それぞれの良さを活かした多様なサービスを通じ、お客さまのお金だけでなく、健康や知識、人とのつながりといった見えない資産=「わたし資産」を増やすお手伝いをしていきます。

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