わたし資産、徹底解剖!vol.6 新5,000円札の顔、津田梅子の人生から「わたし資産」を考える
2023年11月21日
TOPICS
- わずか6歳で海外に渡った「日本の女性教育の祖」
- 人を愛し、恩義を重んじ、たくさんの人の信頼を集めた人生
- 守るべき伝統を受け継ぎつつ、新しい知見を積極的に取り入れた
- 学業も遊びも全力で取り組むことが「わたし資産」を育む
資産には、お金や家といった有形資産だけでなく、知識や教養、経験といった無形のものもあります。UI銀行では、お客さま1人ひとりのさまざまな資産を「わたし資産」と名付けて、さらに豊かにするためのお手伝いをしています。
本企画「わたし資産、徹底解剖!」では、歴史上の人物から架空のキャラクターまで、さまざまな人物の「わたし資産」を深掘りすることで、「わたし資産」を増やすためのアイデアやヒントを考察・提案してみたいと思います。
今回取り上げる人物は、2024年度に発行される新5千円札の肖像画に選ばれたことで話題の津田梅子。日本人女性で初の海外留学を成し遂げ、女性の地位向上や女性教育発展のために奮闘した人生を通して、その「わたし資産」に迫ります。
日本人初の女子留学生。わずか6歳で海外に渡った津田梅子の人生とは
まずは津田梅子の生涯をおさらいしましょう。津田梅子は、1864年の幕末、農学者・津田仙の娘として現在の東京都新宿区南町に生まれます。父親の仙は、明治維新の前にちょんまげを切ってしまうような改革派で、日本の近代化にさまざまな影響を与えてきました。
そんな仙の娘である梅子は、北海道開拓使が募集した最初の女子留学生の1人として岩倉使節団に加わり、1871年に横浜を出港。アメリカへ留学します。当時の年齢はなんと6歳。5名の女子留学生のうち、梅子は最年少でした。
その後、アメリカ・ワシントン近郊のジョージタウンに暮らすランメン夫妻のもとでホームステイなどをしながら、11年間にわたって現地の高度な教育を受けることになります。
1882年、17歳で帰国した後は、それまでの大名や公家である華族の女子のために開設された華族女学校で英語教師として教壇に立つことになります。しかし、11年もの間アメリカで暮らした梅子にとって、日本での生活はカルチャーショックの連続。特に、当時の日本人女性の地位の低さや教育の制約には衝撃を受けるとともに、梅子の野心に火をつけました。
「日本女性の置かれている地位を高め、より自立した女性を育成したい」
そんな想いを募らせた梅子は、女性教育の普及や女性の地位向上に向けて精力的に活動することを決意。その第一歩が、アメリカの大学教育機関で再び学び直すことでした。1889年、24歳で再びアメリカに渡り、大学で3年間生物学を学びます。梅子が当初想定していた英語教授法ではなく、生物学を専攻した理由については明らかにされていませんが、当時はアメリカでも高等教育が女性の身体を蝕むなどと囁かれていた時代で、現地でも科学を学ぶ女性は少なかったといわれています。
日本に戻った梅子は、のちの津田塾大学となる女子英学塾を設立。女性の地位向上や教育に尽力し、社会で幅広く活躍する女性を育成・輩出します。これらの功績から、2024年に発行される新紙幣の肖像画にも選出されました。
現在でも課題とされている、女性の活躍。津田梅子はその先達として、日本の近代化をリードし、大きく貢献した人物といえるでしょう。
従来の“女性像”に縛られずに突き進む、 津田梅子の「わたし資産」とは?
情熱的な努力家で、伝統と新奇性の両方を重んじてきた津田梅子。その人生には、UI銀行のコンセプトである「わたし資産」を見つけ出すためのヒントになる要素がたくさん散りばめられています。
津田梅子の「わたし資産」①
留学経験で育んだ先進的な考え方と、日本女性の教育や地位向上に対する揺るぎない信念
国費留学生としての使命感や責任感を持っていた梅子は、アメリカの大学で優秀な成績をおさめ、好条件で研究者として残るよう勧められますが、それを断って帰国します。帰国後、彼女は当時の女性としては高待遇の職業である教職に就けましたが、日本のジェンダーギャップ問題を何とかしたいという気持ちは変わりませんでした。良妻賢母が理想とされていた当時の社会においても、梅子は「家庭に入る選択をした女性でも、文化、教育、経験がなくては、理想的な妻や母にはなり得ない」と考えたのです。これは、彼女が当時からすでにグローバルな視点を持っていたことを示しているでしょう。
津田梅子の「わたし資産」②
大きな夢の実現を後押しした、多くの人からの共感と賛同
日々情熱を捧げて行動する梅子の姿は、周囲の人々の共感を呼びました。一度目の滞米中に知り合ったメアリ・モリスという女性もその1人。梅子が2度目のアメリカ留学となるブリンマー大学に進学する際、メアリ・モリスが学長に掛け合い、梅子の学費と寮費の免除という優遇条件を出してくれることに。さらに、女子英学塾を設立する際、外国人からだけでも数百万円に及ぶ支援金が集まるなど、梅子がいかに信頼・賛同されていたのかがよく分かります。
また、梅子は1898年に知人の紹介でヘレン・ケラーや、近代的な看護と病院施設の生みの親であるナイチンゲールと会う機会を得ました。その出会いは梅子を大いに勇気づけたといわれています。
このような人々からの共感を得ることの大切さは「高い志と熱意を持ち、少数だけでなく、より多くの人々との共感を持てれば、どんなに弱い者でも事を成し遂げることができるでしょう」という梅子の言葉にも表れています。
津田梅子の「わたし資産」③
伝統の良いところを大事にしながら、新しいものを取り入れる力
梅子は古い時代の狭量さや偏屈さからは脱却し、新しいことを求め学ぶ努力をすることを伝えました。しかし、それは過去の日本女性が受け継いできた伝統を蔑ろにしていた訳ではありません。
実際に、梅子は幼少期から米国留学を経験し、8歳のときには自ら希望してキリスト教の洗礼を受けるなど、西洋的な暮らしの中で育ちましたが、その一方で着物を愛し、授業も和装で行なうなど、日本の伝統的な価値観や文化を大切にすることも忘れませんでした。梅子の教え子たちは、彼女のことを「アメリカ育ちとは思えないくらい、質素で日本的な生活をしていた」と評したといわれています。
古いものの良さを大切にしながら、新しいものを積極的に取り入れる姿勢――。これはデジタルバンクでありながら、実店舗でのリアルなコミュニケーションも大切にするUI銀行のスピリットとも通じるところがあるのではないでしょうか。
人生を通して学び続ける、津田梅子にならう「わたし資産」の増やし方
梅子は読書家で、「教える人は、学生の10倍知らないといけない」と、自分自身も常に学び、努力をし続けました。幼少期の留学先では語学で優秀な成績を収めたほか、2度目の留学では欧米の学術雑誌に論文が掲載された最初の日本人女性として注目されたといわれています。
女子英学塾の教師としては、生徒の学問への向き合い方や人としてのあり方に関して、とても厳しかった梅子ですが、怪談やダンスなどを通じて生徒たちと一緒に楽しむ時間も大切にしていたともい われています。こうした「遊びの時間」も、人間の成長にとって大切であり、「わたし資産」になると考えていたのかもしれません。
現代日本においても、女性の教育や社会進出はいまだ大きな課題です。それでも、女性が高等教育を受けられるようになり、専業主婦以外の生き方も選べるようになったのは、津田梅子が私たちにもたらしてくれた大きな資産といえるでしょう。自分の教養や知識といった「わたし資産」を大切にして、他人と共有すること。それは自分だけでなく、周囲の人の新しい「わたし資産」をも創出し、社会全体を豊かにすることにもつながるのではないでしょうか。
<参考文献>
・津田塾の歴史 津田梅子について / 津田塾大学
https://www.tsuda.ac.jp/aboutus/history/index.html(参照日:2023-11-6)
・津田梅子と生物学 : 科学史とジェンダーの視点から / 古川安 / J-STAGE / 2010
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jhsj/49/253/49_11/_pdf(参照日:2023-11-6)
・津田梅子 どんな環境でも高尚であれ / 木内昇 / 日本経済新聞 / 2013-5-19
https://www.nikkei.com/article/DGXNASFE2201F_Q3A510C1TY5000/(参照日:2023-11-6)
・女性の力を信じることがこの国の未来を救う理由 / 朝日新聞DIGITAL
http://www.asahi.com/ad/globalj/tsuda/(参照日:2023-11-6)
・小学館版 学習まんが人物館 津田梅子 / 津田塾大学・津田梅子資料室 / 小学館 / 1997
・津田梅子 / 大庭みな子 / 朝日文庫 / 2019
サムネイル画像引用:国立国会図書館ウェブサイト
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